真田昌幸,幸村,大助をめぐる~和歌山編

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>この旅の登場人物一覧

真田昌幸像

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/真田昌幸

真田信繁(幸村)像

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/真田信繁

真田大助像

引用元:https://ameblo.jp/rekisi-shiro/entry-12166889787.html

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真田幸村をめぐる~上田編

第二次上田合戦には勝ったが、関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸と幸村親子は九度山に流罪となった

その九度山がどんな所か知りたくて行ってみた。

南海電車にて九度山へ

九度山駅も全面的に六文銭と真田一色👍

真田のみち

真田のみち

商店街名も真田、電信柱にも真田十勇士+αが描かれていた。

興味がある方はこれを探すのも面白いのではないだろうか

  1. 真田庵
真田庵

ここが昌幸と幸村が過ごした真田庵である。

雷封じの井戸

この真田庵には稲妻が落ちて幸村が蓋をした井戸らしい。

雷封じの井戸

ここで生涯を終えた昌幸のお墓も供えられていた。

真田昌幸のお墓

2.幸村庵

真田庵を出てすぐ隣に「幸村庵」といったお蕎麦屋があった。真田幸村ファンなら行くしかないでしょ。

幸村庵
幸村御膳

真田家が流罪になる際に上田から蕎麦粉を持ちこんで生計を立てていたとのエピソードがあり蕎麦も美味しかった。高野山の麓であったのもあって高野山名物の胡麻豆腐や柿の葉寿司も堪能できた。

3.真田ミュージアム

腹ごしらえを済ませた後、いざ真田ミュージアムへ。

入り口で早速真田三代が出迎えてくれた。

いや~いいじゃん👍

大阪城入りを画策する真田昌幸,幸村父子

(左)幸村(右)昌幸

中には昌幸と幸村が大阪城で徳川を迎え討つ画策をする場面のオブジェなどが飾られていた。

流罪の身なれど打倒徳川の機会を虎視眈々と狙う真田親子・・・恐るべし

4.真田の抜け穴

最後に幸村,大助一家が大阪の陣にあたって豊臣秀頼のもとに馳せ参じるために使ったといわれる

通称「真田の抜け穴」にも行ってみた。

真田の抜け穴(真田古墳)

いろんな説があるみたいだが、私の考えとしてはこの穴が大阪まで繋がっているのではなく、この穴を通って川に出て、船で大阪に向かったと考えるのが妥当だと思った。実際にこの抜け穴に入って歩いてないので分からないが・・・

まとめ

今回の旅では高野山に向かう道中、真田昌幸,真田幸村親子の流罪生活していた九度山に行ってみたかった。

お世辞にも裕福とは言えない貧しい生活を送っていたのはようだが、関ヶ原の戦い後は徳川の時代が

ほぼ盤石な時代であるにも関わらず、宿敵徳川に一矢報いようと燻る心が垣間見えた。

幸村祭といったお祭りも見てみたいし、今回行けなかった慈尊院とかにも行ってみたい。

真田幸村をめぐる~大阪編

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