真田幸村をめぐる~大阪編

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真田幸村をめぐる~上田編

真田昌幸,幸村,大助をめぐる~和歌山編

まず1614年の大坂冬の陣で大阪城の防衛拠点として作った出城真田丸の跡地に行ってみた。

真田太平記や真田丸でもあったように確かに大阪城の南に面していたことをGoogleMapで確認した。

  1. 心眼寺

心眼寺

2. 三光神社

次に訪れたのは真田山三光神社である。先に紹介した九度山の真田の抜け穴からここ三光神社の抜け穴を通って大阪入りしたとエピソードがある。

三光神社の真田幸村像

また真田丸で采配を振るっている真田幸村の銅像は迫力があった。

大阪夏の陣においては、数多の豊臣軍が徳川軍によって討ち取られ、幸村も一矢報いるために

徳川本陣に強行突破し、宿敵家康を討ち取る目前まで追い詰めた。これが日の本一の兵と言われた所以だ。

3.安居神社

幸村の最期については諸説あるが、家康を討ち取るのに一歩及ばず四天王寺近くまで逃げて

隠れていたが見つかり討ち取られてしまうというシナリオが幸村に華々しさがあって筆者は好きだ。

真田幸村討死の地

まとめ

大阪の夏の陣といった一回の戦いで400年以上経った現在でも高い人気度を誇る真田幸村

フィクションも混ざっているが、絶対不利な状況にも関わらず一矢報いようとした姿勢が

日本人に刺さったのだろうか。少なくとも筆者は幸村のこういった姿勢に惹かれた。

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理系の大学院に進み、現在はエンジニアとして勤務しているが、

日本の歴史が大好きで、時間があれば日本の歴史上の偉人を巡る旅をしている。

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