明智光秀,細川氏をめぐる旅~福知山,宮津編
山陰本線に乗って鳥取から福知山,天橋立,宮津を巡る旅をしてきた。
ここは本能寺の変を起こした明智光秀や細川幽斎,忠興ら細川氏が治めていた地で
これらの歴史を探訪することにした。
エピソード
登場人物
1.明智光秀(1528?~1582)
明智光秀像(本徳寺蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/明智光秀
信長により丹波攻めを命じられる。
1575年~1579年の4年間で丹波を平定し、丹波(京都北西部)を貰う。
2.明智秀満(1536?~1582)
明智左馬助光春(落合芳幾)
https://ja.wikipedia.org/wiki/明智秀満
光秀の娘婿といわれているが、真相は不明なところも多い。
光秀より福知山城の城主を一任される
3.細川ガラシャ(1563~1600)
細川ガラシャ
https://www.touken-world.jp/tips/40515/
明智光秀の三女
丹波攻めにあたって細川忠興に嫁ぐことで、
明智家と細川氏の関係をより強化する。
4.細川幽斎(1534~1610)
『絹本着色細川幽斎像』(天授庵所蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/細川藤孝
光秀の盟友で、光秀の丹波攻めに協力する。
丹波平定後、丹後(京都北東部)の地を貰う。
5.細川忠興(1563~1646)
細川忠興像(永青文庫蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/細川忠興
細川幽斎の嫡男
1578年の丹波征伐の最中、ガラシャと婚姻する。
福知山行きに乗り換えるために城崎温泉駅で途中下車
特急こうのとりには光秀や幽斎,ガラシャらがラッピングされていた。
光秀の丹波攻めに興味があったから、これを見てるだけでも嬉しい。
城崎温泉から数々の山越えをすると、福知山の街並みが急に見えて福知山駅に到着
出てすぐ「光秀が築いた城下町 福知山」~この響き 好きだわ。
駅でレンタサイクルを借りておよそ5分で福知山城に到着!!
光秀が築城し、娘婿の明智秀満(鬼武者の主人公)が居城とした。
復元されたものだが、お城が木造建築なのがいい。光秀センスある。
天守閣からの風景
福知山が盆地なのがよくわかる。蒸し暑いわけだ💦
福知山城からも見えていた明智薮に行ってみた。
福知山は先も見たように盆地なので雨も多かっただろう。
近くには由良川が流れていた度々氾濫していたところ、光秀はこの明智薮を作って
由良川の流れを緩やかにしたとの事。
信玄の信玄堤もそうだが、こういった市民の生活の為の政策をする光秀の姿勢が
今でも福知山の市民に愛されている所以なのかなと思った。
筆者もこれで光秀がさらに好きになった。
明智薮から1kmほど先に御霊神社があった。
ここは福知山城に光秀の後に居座った朽木氏が明智光秀を祀った神社
後世の人にも崇拝された明智光秀って
ここから丹後、つまり細川氏の領土ってことか
日本三景の天橋立にずーっと行ってみたくて今回初めて訪れてみた。
三景というだけあって絶景だった。
ここは細川幽斎が盟友明智光秀を招いたことがある。
細川親子と明智親子もこの風景も眺めたのだろうか。。。
天橋立から一駅 宮津駅へ
明智光秀の娘で、細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ像発見!!
夕日も相まっていい👍
ガラシャはここ宮津に嫁ぎ、大阪の玉造に引っ越した後も
ちょくちょく宮津にも来ていたとの事。
その後を襲うガラシャの不幸を思うと、宮津はガラシャにとって
一番幸せな時を過ごした場所だったから頻繁に訪れていたのだろうか。
ガラシャが過ごした宮津城は石碑のみになっていた。
関ヶ原の戦いで東軍についた細川幽斎がこの宮津城を焼き払ったとの事
室町時代は四職の一門である一色氏だが、応仁の乱後衰退していき、
一式最後の当主一色義清はここ一色稲荷で細川幽斎,忠興らに謀られ自刃
一色氏は滅亡したとの事。ここにも下剋上物語が・・・・
まとめ
今回は京都北部の丹波,丹後に行き、明智光秀やガラシャ,細川親子の歴史を巡ってみた。
これらにゆかりのものが各地に分散していて行ってみたい場所がまだまだ沢山あるので、
現地近くに行く機会があったらまた巡ってみたい。