真田幸村をめぐる旅~犬伏の別れ

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ラーメンが有名な佐野市

ここは真田家存亡の明暗を分ける決断が行われた場所であるので

真田ファンとして来てみた。

犬伏の別れ

左から真田信幸, 真田幸村,真田昌幸

上田市立博物館より引用

駅からタクシーで15分ほどで犬伏新町薬師堂があり、ここが「犬伏の別れの地」と言われている。

1600年 徳川家康の命令により上杉討伐に向かってた真田親子。

ここ犬伏に滞在中、石田三成が家康打倒の為の挙兵した事を知り味方になるよう要請を受けた。

その日の晩に真田昌幸,信幸,幸村の3人は家康につくか三成につくかの密談を行った。

結果真田家を存続させるために、昌幸と幸村は三成に味方(西軍) し

信幸は正妻が家康の養女だったこともあって家康に味方(東軍)とする事で

どちらが負けて取り潰されても一方が残るといった戦略をとった。

家族よりその家柄を残す事をモットーとしていた事がよく分かる。

密談が行われていた場所は現在薬師堂が建てられていた。

また薬師堂の中には真田親子の甲冑が展示されており、外には「真田幸村」の旗が立てられていた。

これだけでも真田家ファンにはたまらない。

犬伏での密談が行われた後、昌幸,幸村と信幸が別れたと言われる別れ橋は

現在その面影はなくなっているが、看板のみ残っていた。

昌幸,幸村はここから上田に引き返し、関ヶ原の戦いで秀忠軍の足止めを果たした

信幸も第二次上田合戦にて秀忠軍に従軍していたが、調略を持って真田家と戦った。(第二次上田合戦)

参考: 第二次上田合戦

まとめ

今回は真田家の歴史が好きで、真田家にとって明暗を分けた犬伏の別れの舞台の犬伏新町薬師堂に行ってみた。

この旅ではここしか行かなかったが、佐野市で起こった歴史上の出来事を勉強してまた来てみたい。

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