日本海側を巡る旅 その2 ~ 山形県山寺から北海道函館市4泊5日の旅
1日目~山形県をめぐる旅
JR上野駅から新幹線はやぶさに乗車。
およそ4年ぶりに東北に行くことにした。
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まず向かったのは山形県にある山寺に来た。
実はここ4年前にも来た事があるのだが、当時は営業時間が終わっていて悔しい思いをした。
なのでそのリベンジも兼ねて一番に訪れることにした。
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4年ぶりにきたら早速🐈がお出迎え。
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この山寺が有名な理由、
それは松尾芭蕉の有名な一句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」を
詠んだと言われる場所で有名だ。左が芭蕉で、右が弟子の曾良である。
この銅像は4年前にもあった。
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この山寺の奥の院まで1000段以上の階段があって登ることに。
途中にあったせみ塚はあの一句を書いて、埋めたことから「せみ塚」と呼ばれている。
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1000段以上登りきった。
ここは天台宗の開祖 最澄の一番弟子の円仁が創建したお寺である。
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奥の院にて今回の旅の安全を祈ってから下山していると、秋田犬に遭遇できた。
3頭とも垂れ目でかわいい。昔ブームになったわさおを思い出した。
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山寺を後にして、仙山線の終着駅 山形駅に到着!!
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山形といったらやっぱりラーメンは食べたい。
この時期は9月後半だったが、すでに30℃超えていた。
冷やしラーメン一択だった。
味噌ベースだったが、すごいあっさりしていて、ヒート状態の体を一気に冷やしてくれた
最高の一品だった。
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冷やしラーメンを食べて、リセットし
山形市に来たら一番行きたかった霞城公園に来てみた。
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霞城公園に来たかった理由は、この城の城主であった最上義光像を見て
みたかったからである。
馬の後ろ足2本で後傾姿勢になる姿はまるでナポレオンの肖像画みたいで
迫力あった。
これは北の関ヶ原と呼ばれた長谷堂城の戦いの一場面を表しているとの事。
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霞城公園には済生館といった明治時代に使われていたレトロな病棟がある。
山形市はこういった近代的な建築が多い事で有名だ。
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済生館の病棟はアーチ上になっており、小さな石庭があったりした。
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ここから秋田方面に向かう予定だが、将棋の町 天童市に途中下車。
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タイルが将棋盤のようになっているのも天童市ならでは。
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ここに来たのは将棋巡り・・・ではなく
この建勲神社に来てみたかったのだ。(将棋はさっぱりなもので・・・)
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この神社は天童織田氏といった唯一残った織田信長直系の一族が祀られている。
先祖は信長の次男 織田信雄の血統で、江戸中期に起こった明和事件を受けて
儒学者山県大弐の配下にいた織田信雄の子孫がここ出羽国に鞍替えとなったとの事が
由来している。
屋根にも賽銭箱にも織田家の家紋「織田木瓜」が飾られている。
参考
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天童から横手に向かう道中、車窓からうっすらと虹が・・・何かいい事があるかな。
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横手に着いた時は既に夜になっていた。
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夕飯はもちろん横手やきそばでしょ!!(これ目的で横手に泊まったまであるww)
横手やきそばはオーソドックスのお蕎麦をそのまま焼きそばにした感じがして
目玉焼きがいいアクセントになっていた。
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横手やきそば
まとめ
1日目には山形市内を主に散策した。4年前に行けなかった山寺にも行く事ができた。
また山形ラーメンを食べて、念願の最上義光像を拝む事ができた。迫力あったなぁ~
天童市では織田信長にゆかりある建勲神社に行き、この旅の無事遂行できることを
祈願した。
横手市は焼きそば以外にも、かまくらが有名な市なので今度は冬に来てみるか。