徳川家康の配下をめぐる旅~本多忠勝,藤堂高虎,井伊直政
なぜ徳川家康が天下を取れたのか?
筆者は秀吉の死後、家康の周りに拮抗する勢力がなかった事が考えられる。
家康の人望に惹かれた配下に恵まれていたため、家康は強大な力を手に入れる事ができたとも言える。
今回の旅では特に家康に一生忠誠を尽くした3人の武将について巡ってきた。
- 本多忠勝(1548 ~ 1610)
まず初代桑名藩主で徳川四天王の一人で戦国最強の武将の一人
本多忠勝について巡る事にした。
引用先: https://ja.wikipedia.org/wiki/本多忠勝
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/85961BCA-8203-4460-AEE6-D52E59781E89_1_105_c.jpeg)
桑名駅から1kmほど離れた九華公園には本多忠勝像があった。
蜻蛉切りの長さが半端なくて撮影が大変だったw
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/BB9DD8E4-618F-4E11-BC96-1F35A921DD1A_1_105_c.jpeg)
本多忠勝を見るといつもこのbgm(https://www.youtube.com/watch?v=pvwQCvB9QeI)が再生される。
57戦で戦傷を負った事ないとかどうなっとんねん。まぁこんな風貌に立ち向かう勇気筆者にはない・・・
九華公園の裏に名古屋市熱田区の宮宿と桑名宿を繋ぐ海路の七里の渡しもあった。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/CDA14B3F-0929-4BF4-A2E5-57BB703B45CB_1_105_c.jpeg)
ここ浄土寺に本多忠勝の本廟が建立されていた。
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鳥居付きで立派なお墓が供えられていた
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/4AFFF87E-A101-47CD-A73B-4EC240CBF6A7_1_105_c.jpeg)
2. 藤堂高虎(1556 ~ 1630)
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/image-26-1024x954.png)
引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/藤堂高虎
桑名から津新町に来てみた。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/124666F3-2262-41F0-93CF-96622913C1AB_1_105_c.jpeg)
筆者がずっと行ってみたいと思っていた津城。今や城はないが築城の名手の藤堂高虎が
手掛けた城だったからである。関ヶ原の戦い以降今治藩から転封された高虎によって
改修されたようで、城内に入るとさらに石垣が積み上がっている様子が見られた。
平城だがさぞ高いお城だった事だろう。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/086CE571-653D-4EB8-AA3D-AB734C9A5787_1_105_c.jpeg)
亀が天日干ししている様子が見られてこれはこれで癒された。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/78D00399-F3EE-4260-8C18-00847F0F10BB_1_105_c.jpeg)
津城にて藤堂高虎像を発見
高虎も180cmを超える当時では大男だったらしいのもあってか
すごく凛々しい銅像だった。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/8312C52A-7E7B-4BD6-A1F2-ED1DF89BB598_1_105_c.jpeg)
津城の丑寅櫓と高虎が関ヶ原の戦いを想い詠んだ句も石碑で残っていた。
「しらはたや花さく山の一備へ」
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津市から伊賀に場所を移し、伊賀上野城!!
先の津城の丑寅櫓にも似ている。築城した人が同じだから当たり前だがw
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/4832066D-0ED1-422C-9273-BDABE0543B37_1_105_c.jpeg)
夕焼けが相まった最高の一枚!!
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/E925B9C9-D064-4AF0-91D6-E3A6C8392D90_1_105_c.jpeg)
天守閣にも登ると、伊賀の街並みが一望できる絶景だった。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/EB4B3CF9-D5D1-43BC-B138-549BD6CEC5B6_1_105_c-1024x602.jpeg)
3. 井伊直虎(1561 ~ 1602)
引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/井伊直政
伊賀から彦根に到着!!
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翌朝駅前には井伊直政の銅像が・・・さすがに赤備えではなかったかw
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彦根といえば彦根城観光は欠かせない。
すごくこじんまりとしたお城で、井伊の赤備えも展示されていた。
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彦根城天守からも琵琶湖はしっかり見えていた。
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彦根城内にある玄宮園。
池の水面に彦根城が反射したりと立派な庭園だったが、
筆者はこの一枚がうまく撮影できたので貼っておく。
ここは井伊直弼が過ごした庭園でもある。
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番外編~井伊直弼
戦国時代ではないが、ここ彦根城は幕末の大老井伊直弼の生誕地でもある。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/78C3C7FB-55DC-417E-A825-E91D2CD2FA11_1_105_c.jpeg)
井伊直弼像も彦根城内に展示されていた。
![](https://sciencemasterdiary.com/wp-content/uploads/2023/05/0F5222D3-EC24-423E-9686-5163838BB203_1_105_c.jpeg)
まとめ
今回は本多忠勝,藤堂高虎,井伊直政の3名ゆかりの地を巡ってきた。
ただ徳川家康の配下に有名な武将が沢山いるので、まだまだ家康の配下をめぐる旅の余地がある。
藤堂高虎が津市に移封される前の今治城や宇和島城や本多忠勝が幼少期過ごした岡崎に行ってみたい。
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