関ヶ原の戦いをめぐる旅 その2
2023年5月27日
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関ヶ原の戦いをめぐる旅 その1はこちら!!
島津義弘(1535 ~ 1619)(西軍)
・島津貴久の次男
・朝鮮出兵にて明,朝鮮軍に「鬼島津」と言わしめた猛将
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/島津義弘
関ヶ原の戦いには沢山の面白いエピソードがあるが、筆者はこの島津の退き口のエピソードが好きだ。
この関ヶ原の戦いでの退き口で家康本陣の真横を突っ切った事で家康に対してただでは負けてやらんといった
薩摩藩の意地。捨てがまり戦法で甥の豊久等数多の部下を失いながらなんとか薩摩に戻った義弘だが、
関ヶ原の戦いから267年~268年後に薩摩藩が見事に江戸幕府を倒幕するという立派なフラグになって
いることまで考えると一本のストーリーになっていると筆者はいつも考える。
島津の退き口のエピソード: https://www.touken-world.jp/tips/96652/
小西行長(1558~1600)(西軍)
宇喜田直家に仕えていたが、三木城攻めにて秀吉に士官する。
高山右近の布教にてキリシタン大名になる。
竹中重門によって捕縛され、斬首される
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/小西行長
宇喜田直家(1572~1655)(西軍)
宇喜多直家の次男
関ヶ原の戦いの副大将として参戦
改易され、八丈島へ流罪
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/宇喜多秀家
大谷吉継(1565~1600)(西軍)
三成の盟友
上杉討伐の途中で佐和山で三成の挙兵に協力
小早川秀秋の裏切りに合うなどで関ヶ原にて自害する
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/大谷吉継
大谷吉継陣地から見た小早川秀秋のいた松尾山
吉継は小早川軍がこっちに向かって攻めて来る様子をここから見たのだろうか
東軍への裏切りによって、もはやここまでと観念した吉継はここ関ヶ原で自害した。
陣地の近くには大谷吉継の墓が供えられていた。
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