関ヶ原の戦いをめぐる旅 その1

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1600年9月15日に起こった天下分け目の戦いが行われた関ヶ原

筆者は小学生の頃からずっと関ヶ原ってどんな所なのか気になって、今回時間が取れたので

念願の関ヶ原の戦い巡りを決行する事にした。

引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/関ヶ原の戦い

東京駅から2時間40分かけて来た念願の関ヶ原

駅を出てすぐに、今回の旅の主役である徳川家康と石田三成の二人が早速お出迎え。

(左)徳川家康(右)石田三成

駅から歴史資料館に向かって歩いていると早速陣地跡を発見

松平忠吉,井伊直政(東軍)

松平忠吉(1580~1607)

徳川家康の4男で、秀忠の実弟。井伊直政は義父にあたる。

関ヶ原の戦いが初陣で、島津豊久を討ち取る










引用先: https://ja.wikipedia.org/wiki/松平忠吉

井伊直政(1561~1602)

徳川四天王の一人

島津の退き口にて島津軍を追撃するも負傷を負い2年後死去

徳川家康の配下をめぐる旅~本多忠勝,藤堂高虎,井伊直政









引用先: https://ja.wikipedia.org/wiki/井伊直政

参考: 徳川配下をめぐる

松平忠吉,井伊直政の陣地

歴史資料館でレンタルサイクルをしていざ出陣!!

徳川家康(東軍)

歴史資料館の裏は家康の陣地跡だった。

徳川家康の陣地跡

家康については別の旅行で観光しているので良ければ参考に

参考:徳川家康をめぐる旅

細川忠興(1563 ~ 1646)(東軍)

・細川藤孝の嫡男

・妻は細川ガラシャ(明智光秀の娘)

・三成とは犬猿の仲で、豊臣恩顧だったが真っ先に東軍へ








引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/細川忠興
細川忠興の陣地

黒田長政(1568~1623)

・黒田官兵衛の嫡男

・本戦では島左近を討ち取ったとも言われる。

・小早川秀秋の調略にも貢献














引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/黒田長政

竹中重門(1573~1631)

・竹中半兵衛の嫡男

・小西行長を捕縛し、家康の前に差し出す。












引用元:https://nobunaga-kouryaku.com/shinsei/database/samurai/1232
黒田長政,竹中重門の陣地

岡山烽火場からの風景で、関ヶ原が一望できる絶景だ。

ここなら関ヶ原全体が見渡せるので戦局も把握できるかもしれない。

さすが両兵衛の息子たち!!

岡山烽火場

決戦地

関ヶ原の激戦が行われた場所で、今では田植えがされている。

関ヶ原の戦い決戦地

島左近(1543~1600)(西軍)←筆者イチ推し

・三成に過ぎたるものと称された三成の右腕

・『君臣禄を分かつ』三成と左近の石高が同等といった

破格の待遇








引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/島清興

笹尾山には三成の陣地の前に島左近があった。

左近の最期については諸説あるが、関ヶ原の戦いにて亡くなっている

島左近の陣地

石田三成(1560~1600)(西軍)

笹尾山に石田三成の陣地があった。指揮官に相応しい高台だった。

石田三成の陣地

佐和山城や石田町にも行っているので、よければ参考に

石田三成をめぐる旅~佐和山,石田町

関連ブログ

関ヶ原の戦いをめぐる旅 その2はこちら!!

関ヶ原の戦いをめぐる旅 その3はこちら!!

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