畠山重忠をめぐる旅~二俣川

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畠山重忠

二俣川の戦い時の畠山重忠公



















引用元: https://grinbambi.exblog.jp/241589202/

畠山重忠巡りの旅をするのにこの二俣川は外せない。

文武とも優れた畠山重忠だが北条氏の暗躍に巻き込まれ、1205年6月22日にここ二俣川で悲惨な最期を迎えた。

二俣川の戦いの地と畠山重忠終焉の地の碑が建立されていた。

二俣川合戦及び畠山重忠終焉の地

またそのすぐ近くには重忠の立派な石碑もあった。

畠山重忠公碑

重忠公碑の隣には、重忠が二本の矢を地面に刺して、自身の心に謀反の心がなければ刺した矢から枝葉をつけよ

という言い伝えがあるさかさ矢竹。

吾妻鏡には北条時政と牧の方に嵌められたといわれているので、重忠の人柄も考えると

筆者も畠山重忠の乱とはいわれるものの謀反の心があったとは思えない。

重忠の言い伝えを守ったということか。

さかさ矢竹

ここから少し路地に入ったところに重忠の首塚と小さな祠まで供えられていた。

畠山重忠の首塚

さらにここから徒歩30分歩いていくと重忠の遺烈碑も供えられていた。

重忠は武蔵国(現在の埼玉県)出身で地元の人には勿論

重忠最期の地となった二俣川でも重忠が二俣川のある旭区の区民に愛されている面も

武士の鑑と言われる所以かと思った。

畠山重忠遺烈碑

まとめ

畠山重忠最期の地である二俣川激戦の地を実際巡って、今は住宅街だったから当時の古戦場の面影は

あまり見られなかったが、重忠の遺烈碑が置かれるなど地元民からすれば敵将であるにも関わらず

慕われているというのが重忠の凄さだと筆者は素直に思った。

さすが武士の鑑 畠山重忠!!

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