山中鹿之介をめぐる~安来市月山富田城

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安来市の月山富田城に来たので、尼子氏巡りをする一方、

「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」と言った事で

有名な山中鹿之介幸盛についても追ってみる事にした。

1.山中鹿之介(1545~1578)

『太平記英勇伝 三十六 山中鹿之助幸盛』(東京都立図書館所蔵)

https://ja.wikipedia.org/wiki/山中幸盛

1566年の第二次月山富田城の戦いにて尼子氏が滅亡した。

尼子勝久を擁立して尼子十勇士らと共に尼子氏の再興を企てる。

1569年 毛利氏が大友氏と争っている最中、月山富田城の奪還を試みるも失敗

1578年の上月城の戦いにて毛利軍に降伏し、捕縛されるが備中国(現在の岡山県西部)の

甲部川付近で護送中暗殺される。

2.尼子勝久(1553~1578)

尼子勝久(落合芳幾画)

https://ja.wikipedia.org/wiki/尼子勝久

尼子国久の孫で、尼子経久の曾孫

山中鹿之介らによって尼子家再興のため当主を担がれる

1578年の上月城の戦いにて毛利軍に降伏し切腹し果てる。

家系図

「願わくば、我に七難八苦を与え給え」

月山富田城跡へ登山中にあった山中鹿之介幸盛像が・・・

拝んでいる武将とか見たの初めてだ。

山頂まで登るといった七難八苦を与えてくれた月山富田城の山頂からの風景

中海まで見えて絶景だった。

山頂には鹿之介の庚申塔みたいなのも供えられていた。

勝日高守神社…我に七難八苦を与え鹿之助が勝日(尼子氏再興)を高い所から

見守ってくださいといった意味なのかな?

月山富田城から下山したところに川中島一騎討ちの場所があった。

第二次月山富田城の戦いにて山中鹿之介が品川大膳(木狼介)と一騎討ちをし、

鹿之助が大膳を討った。

「鹿が狼を喰らった」かぁ~なるほどね。

参考: https://www.kankou-shimane.com/destination/21529

巌倉寺には鹿之介の供養党がひっそりと置かれていた。

供養したのは松江城初代藩主堀尾吉晴の妻との事だが何故供養したのだろう・・・

鹿之介とは同世代だから当時から鹿之介が有名だったからだろうか。

まとめ

今回は月山富田城に行って尼子十勇士の筆頭山中鹿之介幸盛ゆかりの地を巡ってみた。

当時時の人だった織田信長が配下にならないかの誘いにも断って主家の再興を目指し

腕も立つのに天運に恵まれなかった故に散った鹿之介。

主家を再興したいといった初志貫徹の姿勢と主君への忠誠に現代でも心惹かれるものがあると感じた。

次は上月城の跡地や鹿之介最期の地に行ってみたい。

尼子経久についても巡って来たので、よければそちらも見ていただけたらと思う。

参考: 尼子氏をめぐる旅

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